嵐の活動休止について
運命のXデーはあまりにも突然やってきた。
その日、いつものように仕事をしていて、休憩のためロッカールームに自分の携帯電話を取りに行った。上司が携帯の画面に向かって、「ちょっと待ってよ。どうすんのこれ?」と真っ赤な顔で独り言を言っていたので「どうしたんですか?顔が真っ赤ですよ!ここ、暑いですよね?」なんて笑顔混じりで茶化すように話しかけた。上司は私の問いかけに対し、答えることなく苦笑いをしてその場から去っていった。あとから思えば、その上司は熱烈な嵐ファンの人だった。
晩御飯を電子レンジで温めている間、twitterを開くと、世界が回っていた。
嵐 活動休止 の文字。
目の前が真っ暗になった。
母からのLINEがたくさん届いている。
意味がわからない。
とだけ返信し、頭の中を整理しようにも何も整理がつかない。
それから仕事に集中するため、なるべく情報をシャットアウトして、それでも時々嵐の事を考えながら翌日の朝まで仕事をして、帰りの電車でstillを聴きながら自然と涙がこぼれた。
どんなお葬式会見になったのかなと想像しながら帰宅すると、ワイドショーでは明るく会見する嵐がテレビに映っていた。意外だった。
私は今、嵐ファンか?と聞かれるとその枠からは外れてしまっているかもしれない。だから外部がとやかく言える事じゃないのかもしれない。けれど、私の家にはたくさんの嵐のCDやDVDが並んでいるし、音楽番組やテレビ番組を録画したディスクが入りきらないほど置いてある。毎日お茶を飲むカップには嵐のロゴが入っているし、防災用に準備してある懐中電灯は嵐のペンライトだ。そんな家でそんな風に育ってきてしまった。
元々は私がジュニア時代の松本潤さんのファンになり、そのまま嵐のファンになり、それが家族に伝染し、たくさんの公演でたくさんの幸せをもらってきた。それはいつも家族の思い出と一緒だった。家族旅行に行けない年は、嵐のコンサートが家族旅行代わりだった。炎天下の中、嵐のグッズに5時間並び続けて私が熱中症で倒れたエピソードも、今では笑い話になっている。
その後私は別のグループのファンになり、チケットの都合上、一緒にコンサートに入れる機会は少なくなってしまったけれど、嵐のコンサートのお土産話を聞くのもまた幸せな時間だった。
変わらないものなんて何もなくて、終わりはいつか訪れることもとっくに理解している。けれど、嵐だけはそんなことないって思ってしまうのは何故だろう。
5人の絆があまりにも強固で、どんな署名活動をしても、たとえ私がジャニーさんだとしても、この決定は覆ることがないんだという事実を突きつけられているようなあの笑顔の会見。
たぶんあの時僕らは歩きだしたんだ互いに違う道を
勝手に決めないでほしい。こちらはまだ何の心の整理もついていないのに、あんな清々しい顔で会見をしないでほしい。
これは別れではない 出逢いたちとのまた新たな再会 ただ僕はなおあなたに逢いたい
また…
いつか笑ってまた再会 そう絶対
本当にそんな日が来るのだろうか。
今はまだ信じられない。正直、4人の人生を変えてしまった大野くんに対して怒りの感情を抑えられないでいるし、5-1=0な嵐は嵐らしいとも思えないでいる。
純粋な嵐のファンであれば、大野くんの選択を受け入れ、残りの活動期間を応援するのが正しいファンの姿なのかもしれない。けれど、私はそんな風に切り替えられるほど純粋な嵐ファンではない。青春の全てを嵐と過ごしてきてしまったから、嵐の事を思うと大人になんかなれないし、小さな子どものように地団駄を踏んで泣き叫びたい気持ちは思春期の頃から何も変わっていない。嵐のデビュー握手会に行くために部活を休みたいと母にごねていたあの頃と何も変わっていないのだ。
全てがお膳立てされた活動休止までのシナリオなんていらないから、泣いてもいいし、嫌だって言うメンバーがいてもいいし、晴れやかな顔で会見なんてしないでほしかった。いつも5人で歩調を合わせる仲良しな5人組。大人になる、成長するってそういう事なんだろうか。だとしたら私は未だに何も成長できていない。
嵐 活動休止というあまりにもショッキングな超機密情報はどこからも漏れることなく、本人達の口から第1報が語られた事は関係者様達の絶え間ない努力であり、褒め称えるべき事だ。しかし、そのあまりにも完璧なシナリオが私の心をおいてけぼりにしてしまった。
嵐の活動休止を受け入れるには、まだまだ時間が必要だ。